熊野古道

ニケットは今熊野古道沿いの山里に暮らしています。熊野権現では神仏習合といい、神と仏を一緒にして祀っています。詳しいことは知らないのですがお坊さんがそういうことを始めたらしいです。インドでは悟りを開いたシバやお釈迦様、クリシュナなども神様として扱われています。日本では一応神仏の区別があるけれども、熊野でだけはいっしょくたになっています。面白いですが研究する暇がありません。

 

ニケットは悟りを開いていますが、一神教の神のようになんでも見通せたり、なんでもできたりするわけではありません。神といっても、国や民族によっていろいろな概念があります。日本の場合は神は神道で定義されるようであって、現実には欧米のキリスト教の影響を強く受けて、聖書にある神が、神であるという風に考えられているに思います。

 

テレビで取材を受けた人が、故人のことをさして、「天国に行った」というのをたまに見ます。しかし違和感があります。死んだ人はみな天国に入れるのでしょうか。地獄はどうなのでしょうか。六道などの仏教の概念はどうなのでしょう。きれいごとはさっぱりわかりません。

 

かつて良寛の逸話を読んだとき、良寛は一日座禅を組んで自分がどこからきてどこへ行くのか瞑想してみたそうですが、結果、わからなかったらしいです。わたしにも自分が死んだ後どこへ行くのかわかりかねます。しかし生まれる前の記憶らしいものがかすかに残っています。それは宇宙を飛び回るスピリットとしての自分の印象です。子供時代にはそういう記憶が鮮明にあったようにも思いますが今は非常にあいまいです。

 

人の生まれ変わりというのはあるというのが私の理解です。しかし悟った人間が死んでからどうなるかというのはまだわかりません。OSHOは死というものは存在しないとか言っていたと思います。私には肉体のない状態での存在が今一つイメージできません。

 

ついでに書くと、刑事ドラマでいつものごとく、死んだ被害者のことをほとけさん、と呼びます。また日常会話でも死んだ人のことをほとけとか呼びます。違和感があります。死んだ人はみな仏なわけはないと思うからです。

 

そういうわけで神仏とかいったものや、肉体や魂というものについての興味はつきないのですが、いまだ研究する時間に恵まれていません。