ニケットの悟りについて

ニケットは2000年の9月23日に光明を得ました。インドの神秘家OSHOの弟子(サニヤシン)になったのが1993年の7月ですから探求は約7年間続いたことになります。2000年は怒涛の一年でした。私は当時仕事を辞めていたこともあって、各地のOSHOの瞑想やヒーリングのセッションに多く参加していました。また伊勢神宮に惹かれてよく参詣していました。車を運転していても涙が流れることが多く、何か大きなものに圧倒される感がありました。ともかく瞑想は深まり、第三の目といわれるものも開花したようでした。

 

ある日、何かが額から目の間に降りてくる感じがありました。OSHOに言わせるとそれは光明の兆しなのだそうです。それは不思議な体験でした。また幽体離脱のようなものも経験しました。家でシャワーを浴びているとき、自分の意識が頭の後ろ側にあり、そこからまた肉体に戻った感じがありました。私は当時OSHOの「ディヤンスートラ」という本を読んでおり、その中に、息を止めて瞑想するぞ、瞑想するぞと唱えるというテクニックが載っていました。それもやりました。

 

自分が悟ったのだと知ったのは、いつも買いに行っていたたばこの自販機に、夕暮れ時、一人で向かった時のことでした。お金を入れ、たばこがぽとりと下に落ちた時、自分は悟ったのだと自覚しました。

 

マインドは静まり、なんとも言えない経験したことのない沈黙が自分を包んでいました。自分の体からもマインドが抜け落ち、それは生まれたての子供のような柔軟さを持つようになりました。

 

私は二度目のインド訪問をその後することになります。インドのOSHOのコミューン(瞑想スクール)を2か月ほど訪問したのです。それはあまり心地よい旅ではありませんでした。私は非常に悟りの後敏感になり、マインドも体も繊細になっていました。ともかく弟子としての期間は終わり、私は自分がマスターになったのだと自覚しました。アナンドニケット(至福の家という意味)はOSHOにいただいたスピリチュアルネームです。私はその名前すら落とそうと考えました。しかし長い年月が経って、それを再度使おうと思うようになりました。

 

私は武術や軍事について研究しました。強くなりたかったのです。それが終わると少し体調を崩しました。今は多くの人とこの悟りを分かち合いたいという気持ちでいっぱいです。悟りの経験を描写することは簡単です。しかし悟りとはなんなのかを説明することは多くの覚者が苦労したところでもあります。それは無心の境地と言うことができます。英語でNo Mindです。マインドを使うことはできます。しかし普段は、必要のないときは、無心のままです。あらゆるものがよりクリアに見えるようになり、よりクリアに聴こえるようになりました。私の感覚は研ぎ澄まされて、それはそれはクリアなものになりました。

 

悟りは死のようでもあります。それまでの自分とはお別れです。悟りは死の超越と言われます。また輪廻の超越とも言われます。ともかく私は町ゆく人を見るとほとんど機械のように動いている人類という集合を認識します。

 

私は一人暮らしすることなく、実家で探求を重ね、悟りました。実家では菜食主義はとれないので、ごく一般的な日本人が食べるものを食べていました。今もそれは変わっていません。菜食主義に価値はあると思いますが、今現在の私はそれをとっていません。

 

たばこはやめました。同時に表現したい、多くの人とコミュニケートしたいという気持ちが高まりました。